毎年この日がやってきます。
【1.17】もう14年も経つんですね。
当時、私は質屋の修業のため、京都に住んでいました。
京都でも今までに感じたことのない、なにが起こったのかと思うくらい大きな地震でした。
出社前、8時30分ころ会社から電話があり、テレビをつけて初めて事の重大性に身震いしました。
なかなか電話もつながらず、心配して仕事中もテレビから目が離せませんでした。目を離すことなどできないと言ったほうが正しいのかもしれません。
身内が無事であることが昼頃に確認はできましたが、刻々と壊れて行く神戸の街をテレビで見ていて、どうしようもなく胸がしめつけられる思いでした。
午後になり、会社の上司の原付を借り、水を入れた大きなポリタンクを二つ積み、一般道で神戸まで8時間ほどかかったでしょうか。
驚いた事に、いつも走っている道で道に迷いました。
目印になる建物がないからです。
地割れした道に、明かりのつかない街灯。崩れた家に、崩れた高速道路・・・
忘れようとしても忘れられない出来事です。
私の長男は震災を知りません。
それでも神戸の小学校(もちろん幼稚園でも)では震災の事、震災で起こった悲しい出来事、助け合った人たち、全国から励ましてくれた人たちの事など、たくさん勉強しています。
実際に被災した私たちより若い世代も、きっとこの大きな出来事を語り継いでいってくれるはずです。
一日の日記では書ききれないほど、大きく、深い表題です。
今日は一日心を鎮め、神戸の街に祈りをささげたいと思います。
コメント
コメントフィードを購読すればディスカッションを追いかけることができます。